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大阪高等裁判所 昭和63年(う)1102号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人大谷哲生作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は検察官谷本和雄作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意中、理由齟齬の主張について

論旨は、要するに、(1) 原判決は、生活保護法八五条違反における不実の申請と保護との間の因果関係及び故意の内容について、「生活保護行政の適正かつ公平な運営のため、申請内容の真実性を担保するという立法趣旨並びに構成要件の文言から、詐欺罪と異なり、故意の内容として相手方を錯誤に陥れ、処分行為を引き出すという定型的な因果関係の認識は必要ではなく、不実の申請をすることによって保護を受けるものであるとの認識があれば十分であると解するのが相当である。」旨、すなわち、詐欺罪の場合と異なる旨判示しながら、一方において、本件の認定にあたっては、「福祉事務所長において真実の家賃額を把握しておれば敷金の扶助の支給を拒否していたものと認められ、本件不実の申請と保護との間には因果関係と被告人の右に対する認識が認められる。」旨、詐欺罪の場合と同じ立場に立って判示してその間の判断認定に食い違いがあり、判決に理由齟齬がある。(2) 原判決は、前記のように、「本件不実の申請と保護との間には因果関係と被告人の右に対する認識が認められる。」旨判示し、右の被告人の認識内容とは、結局、「福祉事務所長において真実の家賃額を把握しておれば敷金の扶助の支給を拒否されることを知っていた。」ことをいうものと考えられるところ、一方において、原判決は、詐欺罪の成立しない理由を述べる部分においては、「被告人において、転居先の家賃が制限額を超えた場合には、敷金の扶助は全く受けられないことを知っていたことについて、合理的な疑いを入れる余地のない程度に立証されたとは認められない。」旨判示しており、被告人の故意の内容についての認定に明らかな矛盾があり、この点においても理由に齟齬がある、というのである。

しかしながら、(1)については、原判決が、「福祉事務所長において真実の家賃額を把握しておれば敷金の扶助の支給を拒否していたものと認められ云々………」と判示する部分は、これに先立って本件の構成要件について詐欺罪と異なる解釈を判示したその因果関係とこれに対する故意の内容、すなわち、被告人の「不実の申請」と本件の「保護」との間に因果関係及びそれに対する認識があると認定判示したものであり、その間に何らの矛盾はなく、理由齟齬に当たらない。(2)については、そもそも原判決は、前記のとおり生活保護法八五条違反の罪の故意の内容については、詐欺罪と異なり、「不実の申請により保護を受けることの認識」があれば足りると解し、被告人にはその認識があったものと判示したものであって、所論の原判決が詐欺罪の成立しない理由として述べるところは、これと異なる詐欺罪の故意の内容について判示したものであり、その認識対象の異なるのは当然であり、そこにいうところの「被告人において、転居先の家賃が制限額を超えていた場合には、敷金の扶助が全く受けられないことを知らなかった。」としても、本件の犯罪の成立には影響しないことであるから、原判決には所論のような理由齟齬はない。所論はいずれも採用できず、論旨は理由がない。

控訴趣意中、法令の適用の誤りの主張について

論旨は、要するに、生活保護法八五条違反の罪は、受給資格の有無に関係なく、不実の申請さえすれば成立するというものではなく、受給資格のない者が、不実の申請をしたことにより、本来ならば受けられないはずの保護を受けた場合にのみ成立するものであり、従って、同条違反の罪の故意の内容も詐欺罪における場合と同じであるところ、原判決が主位的訴因である詐欺について判示するとおり、被告人には、三万三八〇〇円以下の家賃の住宅に移転する場合でなければ、住宅扶助の受給資格がないことの認識がなかったものであるから、同条違反の罪についても故意を欠くことになり、無罪であるにもかかわらず、これと異なる解釈のもとに同条を適用して、被告人に有罪の言渡しをした原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の適用の誤りがある、というのである。

そこで、所論と答弁にかんがみ記録を調査し、つぎのとおり判断する。

生活保護法一条ないし四条の立法趣旨からすれば、同法は、真に保護を必要とする者に対する適正、公平、迅速な保護を目的としているところ、この実現には、要保護者の保護の必要性を正確かつ迅速に把握する必要があり、そのためには、とりわけ、申請保護の原則(同法七条)のもとでは、申請の内容が真実であることが不可欠であり、かつ、不実の申請を放置するならば、生活保護行政は著しく混乱、遅滞し、ひいては不正受給をも助長することになることは明らかであることから、同法八五条は、申請の真実性を担保することを目的とした規定であり、従って、同条違反の罪は、受給資格の有無と関係なく、不実の申請をすることによって保護を受ければ成立するものと解するのが相当である。

そして、同条が「刑法に正条があるときは刑法による。」旨規定して、詐欺罪を構成するような場合にはこれによるとする一方、法定刑については「三年以下の懲役または五万円以下の罰金に処する。」旨規定し、その刑が詐欺罪の場合と異なり罰金刑さえも含む低いものであることからすれば、同条は、受給資格を有するものであっても、不実の申請をすれば、同条違反の罪が成立することを当然の前提としているものと解される。

従って、同条違反の罪の故意の内容も、「不実の申請をすることにより保護を受けるものである。」との認識で足りるものと解される。

してみると、所論のとおり、被告人が三万三八〇〇円以下の家賃の住宅に移転する場合でなければ住宅扶助の受給資格がないことの認識がなかったとしても、それは同条違反の罪の成否に関係ないものといわざるをえず、これと同旨の法令解釈にもとづきこれを適用した原判決には何らの誤りもない。

所論は、右の同法八五条の解釈に関し、生活保護法は保護施設の管理者等要保護者以外の者が違反の主体である場合(同法八六条一項、四四条一項、五四条一項、七四条二項一号等)には、虚偽の報告等のみで処罰されるとしているのに対し、本条のように要保護者を主体とする不実申請については、不実の申請によりいかに福祉行政を混乱させても、そのことのみでは処罰の対象とせず、保護と結びつかないかぎり処罰しないこととしていることや、また、同法八六条一項のうち、二八条一項違反の罪(保護実施機関による調査の拒否等)について、処罰の対象から要保護者を除外していること等の法意にかんがみると前記のような解釈は不当である旨主張する。

しかしながら、同法八六条一項前段に規定する各法条の違反事実はその主体はいずれも要保護者ではなく、かつそれは直接保護申請にかかわる事柄ではなく、専ら保護の適正を期するための資料に関する事項であるから、そもそもその処罰を保護にかからせる必要のないものであり、また、同法二八条違反については、要保護者による調査の拒否等は、要保護者自身が不利益を受けることはあっても、これによって生活保護行政が格別の影響をうけることも、また、不正受給に繋がることもないことから、要保護者を処罰の対象から除外したものと解され、これらの規定があるからといって所論のように前記解釈の妨げになるものではない。

以上のとおり、原判決には所論の法令の適用の誤りはなく、論旨は理由がない。

控訴趣意中、事実誤認の主張について

論旨は、要するに、原判決は、本件不実の申請と保護との間の因果関係を認めているけれども、伏見福祉事務所の係官は、本件の保護である敷金扶助の可否を決定するにあたって、本件申請中、最も重要である転居先の家賃について注意を払わず、本件申請書に制限額を超える家賃が記載されているのを看過したままこれを決裁にまわし、また、家賃について貸主等に対する確認も一切行っていないことからすれば、本件不実の申請と保護との間の因果関係の存在については、合理的な疑いを入れる余地のないほどに立証されているとはいえないにもかかわらず、因果関係を認めて被告人に有罪の言渡しをした原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、というのである。

そこで、所論と答弁にかんがみ記録を調査して検討するのに、原判決挙示の各証拠によれば、本件不実の申請と保護との間の因果関係を認めることができる。

なるほど、本件申請書には、家賃として制限額を超える「三万五〇〇〇円」の記載があり、また、伏見福祉事務所において貸主等に家賃の確認をしていないことは所論指摘のとおりであるが、原判決挙示の各証拠によれば、被告人は、本件申請書を提出するのに先立ち、伏見福祉事務所の係官小田久人に対し、口頭で、「寝屋川の○○文化住宅に転居することになった。敷金は一八万円、家賃は三万三〇〇〇円である。」旨申し向けるとともに、○○文化住宅の紹介を受けた不動産仲介業株式会社関西ホームの社員から貰った名刺と同人が被告人に手渡した家賃等を記載したメモをもとに、家賃等を水増しして友人に作らせた「○○文化。寝屋川市〈住所省略〉。六、四・五、K二。敷一八万、家三万三阡。」と記載されたメモを交付していることが認められるのであって、前記小田は、既に口頭で家賃の額を聞いているうえ、不動産仲介業者の社員の名刺や家賃等の記載されたメモまで受け取っているのであるから、本件申請書の家賃の額に注意を払わず、また、家賃についてあらためて貸主等に確認しなかったからといって、これをもって本件不実の申請と保護との間の因果関係の存在を疑わしめる事情とはいえず、所論は採用できない。

以上のとおり、原判決には所論の事実誤認はなく、論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 西村清治 裁判官 石井一正 裁判官 瀧川義道)

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